2007年03月23日

バイオ燃料と食料生産と自然破壊

石油に頼らないで済む新燃料として、バイオ燃料が研究されていますが、これは果たして地球環境保護として正しい方向でしょうか。私はとても疑問に思っています。
日本では麦わらなどからエタノールを抽出する研究がされていたりします。確かにこれまで廃棄していた植物資源を使えば、リサイクルの観点から見て有効かもしれません。

石油が高騰したこの数年、エタノール車が実際に走っているブラジルが注目され、俄かにバイオ燃料がもてはやされ始めました。ところで、ブラジルでは何からエタノールを作っているのでしょう。

サトウキビです。

数年前に石油が高騰したときに砂糖も高騰した事を覚えている方もいるでしょう。この理由の一つに、砂糖用に栽培されたサトウキビがエタノール原料として買われていったために、砂糖は原料不足になった事が上げられます。要は、食料となるはずの作物を燃料にしていただけなのです。
最近では、砂糖の値段は回復しましたが、ブラジルでの燃料用エタノールの消費量は減っていません。それでは、何故砂糖の値段は回復したのでしょうか?
理由は簡単。
サトウキビ栽培畑が増えたからです。
極めて単純な理由です。そして、不思議に思います。では、畑の用地はどこから持ってきたのでしょうか?
これもまた、単純です。

アマゾンの熱帯雨林を伐採してサトウキビ畑としたのです。

お分かりでしょうか? 現状ではバイオ燃料は、食糧生産を減らし燃料とする作物を確保するか、自然を破壊して畑を広げ燃料となる作物を作るしか無いのです。
しかも、エタノールを燃やし動力を得ているのですから、二酸化炭素はしっかり排出しています。

まとめますと、現状では、バイオ燃料を使用する事は、
・燃料となるエタノールを作る際に環境に大きな負荷をかけます。
・使用時に、石油同様二酸化炭素を排出します。
バイオ燃料とは、その環境にやさしそうな名称とは裏腹に、極めて環境への負荷の大きな燃料です。
これと比較したら、地下から掘り出す石油の方が、環境負荷が小さいとさえ言えるかもしれません。
今のバイオ燃料は、多大な環境負荷と引き換えに単なる石油の代用品として使われているに過ぎません。
バイオ燃料の使用を推進する際には、特に燃料を作る際の環境負荷に、細心の注意が必要なのです。
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2006年09月20日

M5ロケットの後継機開発

「M5」後継機打ち上げ、移動式発射台の開発を検討
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、23日に最後の打ち上げが予定されているM5ロケットの後継機を、北海道などで打ち上げることを視野に、来年度から移動式発射台開発の検討を始める。立川敬二・同機構理事長が19日の定例会見で明らかにした。
 後継機は打ち上げ能力がM5の3分の1、全長が7メートル短い24メートルの固体燃料ロケット。小型衛星への利用を目的に、同機構は、2010年度の初打ち上げを目指している。

固体燃料ロケットM5の後継機種のニュースです。
小惑星にまで人工衛星を届けられる過剰なペイロードを小さくして、移動発射台を開発するのですか。
ホント色々な応用が利きそうです。

核兵器クラスの純度は無いとは言え、プルトニウムは40t以上保有していて、核燃料サイクルの完成を目指す方針には変わりない。
更に運搬手段も確保する、と。
核融合の実用化がまだまだ見通しが立たず、二酸化炭素削減のためにも原子力発電は21世紀の発電の中心として活躍させる必要があるので、核燃料サイクルの完成は原子力発電の有効利用のためにも必要不可欠である、との主張は理解できるものです。
また、H2ロケットが主力となっている現状では、M5後継機はH2とは別の道を行く必要があるとの理由もまた理解できるものです。
そして従来通り、核兵器を保有しない方針には変わりありませんと主張するし、実際今のところは保有していない。けれど、保有していないことと作れないことは違うのですよ、と暗に仄めかすのが日本の姿勢であるわけです。
日本の核兵器に対するスタンスには、なかなかにしたたかなものを感じます。
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2006年05月27日

NHK技研公開とスーパーハイビジョンと現在のハイビジョン

NHK技研公開がこの週末行われています。
関連記事
NHK、「放送技術研究所一般公開 2006」を開催
−超HD放送の家庭デモ。サーバー型放送も現実味

様々な見所がある面白い展示ですので、見に行く価値はあると思います。私も明日あたり行こうかと思っています。
さて、NHKは現在スーパーハイビジョンの研究を行っています。これは、7680×4320ドットと現在のハイビジョンの4倍の高精細な画像で放送をしようとする研究で、既に2025年に家庭向け本放送を開始するとのロードマップを発表しています。
しかし、私はここまで高精細な画像が家庭で必要となるか非常に疑問があるのです。
例えば、ハリウッド大手が参加したDCIでも劇場上映のためのデジタルシネマは4kでやると言っています(35mmフィルムの代替には4kで十分との判断をしたのです)のに、家庭用にスーパーハイビジョンはどう見ても過剰品質です。
これは、一部マニアにだけ受けるだけのようなものになりそうな気がします。なによりも、ハリウッドは4kデジタルシネマでやると決めた以上は、ハイビジョン以上の解像度のソフトを家庭用に出すことはほとんど考えられないでしょう。そうなると、必然的にスーピーハイビジョンはコンテンツ(特に映画)不足になると予想されます。
個人的には、スーパーハイビジョンよりも、現在のハイビジョンエンコーダの品質を上げて欲しいと望んでいます。現在のハイビジョンでは、静止画が精細でも、動いた途端に破綻する事が多いのには興醒めします。
多分、来月のワールドカップでは多くの人がハイビジョンの品質の悪さを認識することになるでしょう。
2002WCもハイビジョンで私は見たのですが、その時は、ゴールなどで選手がアップになった途端に、選手の赤いユニフォームの後ろにほうき星の尾の様な圧縮ノイズの赤い尾がずずっと出ていて、大いに興ざめしたものです。さすがに4年後の今回もそのようなことは無いと思いたいのですが、トリノオリンピックでの惨状(あれは日本選手団の惨状以上に、ハイビジョン圧縮技術の惨状の方が印象に残りました)を見ると油断はできないように思うのです。

追記
スーパーハイビジョンは、画像以上に音の方が大仕掛けな代物でした。なんと、22.2ch。
まず、床面に前面3chとスーパーウーファー2chがあります。そして、耳の高さには、前面5ch、側面(視聴位置)2ch、背面3chです。そして、天井位置に前面3ch、側面2chと天井真上に1ch、そして背面3ch。で、合計22.2ch。
感想は、呆れ果てた、の一言でした。
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2006年04月03日

ホントに作る気なんですね

家庭用ロボに共通規格、松下やNTTなどが08年度めどに
 案内や接客業務などをこなすロボットが多数働く社会の到来に備え、電機・機械各社で構成する民間団体が、ロボットに協調性を持たせる通信規格づくりに乗り出す。メーカーや機能の違うロボット同士で交信できるようにし、人間の指示を互いに聞き分けて混乱しないようにする。2008年度めどに規格案をまとめる計画。

記事の日付が4/1なのですが、エイプリルフールネタではないようです。
通信規格を決めようとする事は、既に家庭用ロボットは研究の段階を終えて、開発フェーズに入ったと考えていいでしょう。
本当に10年後には、家庭用介護ロボ(別名メイドロボ)が発売されているかもしれません。
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2005年08月25日

地球温暖化と環境問題

自然破壊をはじめとする環境問題と、地球温暖化は社会問題を超えて大きな政治課題になっています。
公害や森林伐採によって自然破壊が進むことは食い止めなければなりませんが、こうした自然破壊と地球温暖化の問題が一緒になって論じられていることに対しては、私は強い危惧の念を抱いています。
なぜか?
地球温暖化が本当にやってくるのか、疑問に思っているからです。地球が温暖化する事は、どうやら気象学者の間では一致した意見のようですが、その規模についてはまだ様々な見解があり収束していません。そして、私は気象学者に対しては、ある偏見を持っているのです。
ちょっと年の入った方なら覚えているかと思いますが、気象学者たちは1970年代までは将来氷河期が到来する、と主張していました。東宝だったかの封印された映画「ノストラダムスの大予言」では、氷結したインド洋が描かれたりしました。
ところが、こうした氷河期論は1970年代後半からぴたりと叫ばれなくなり、どうなったのかなと思っていた1980年代中ごろから、今度は温暖化が叫ばれるようになりました。
呆れたことに、何故将来氷河期が来るはずだったのが温暖化の予測になったのかについての説明は、私の知る限りでは、だれも説明していません。
ところで、ここに一つの資料があります。地球の平均気温の変化のグラフです。
これを見ると、徐々に上がっていた平均気温が、1940年代から1970年代にかけて下がっています。ちょうどこの時期に、氷河期論が盛んに唱えられました。そして、1980年代からまた上昇に転じています。この時期から温暖化が叫ばれ始めました。
1000年単位で見ると、近年を除いて平均気温はなだらかに低下していました。
私は、このグラフを見て以来、気象学者は平均気温の変化を見て、後付けで氷河期になったり温暖化したりする理由をこじつけているように思えてなりません。氷河期論のときも実にもっともらしい理屈付けがなされていました。温暖化論にしても然りです。ついでに、1000年から2100年までの気温変動(観測と予測) を見てみましょう。予測については実に幅が大きく、どうしても確たる理論に基づいて温暖化を唱えているようには思えません。
私は、予算獲得のために気象学者が氷河期を唱えようが温暖化を唱えようが自由だと思いますが、そうしたペテンの社会的影響の大きさについて考えたことはあるのでしょうか?
もし、温暖化が誤りだったと判った時に、世界中で進んでいる自然破壊に対する歯止めも一緒になくなってしまうのではないか、と私は懸念しているのです。なにしろ、両者はほとんどセットになって論じられているのですから。
そうなった時には、学者の予想に従って京都議定書なんてものまで作ってしまった後ですから、もし誤りだったと判ったら、もう社会は学者の主張には耳を傾けなくなるでしょう。
その後、良心的な学者が自然破壊に対する懸念を示しても、社会は関心を示さなくなるのです。そうしたら、地球の自然環境は回復不可能なまでに破壊されることさえありえます。
そのような事態を迎えた時に、はたしてどうすればいいのでしょうか?
私には、判りません。
ですので、私は最小限の気温上昇がしばらく継続してくれることを願ってやみません。取り敢えず、気象学者たちの言い訳が立つ程度に。
posted by とのじ at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイエンス

2005年08月24日

研究開発能力比較

肉体作業、あるいは、単純労働は、人によって能力に差があると言っても、10倍も違うことはありません。
例えば、今100m走の記録が9.8*秒ですが、では、20秒以内に走りなさいと言えば、健康な人であれば、よほど運動不足でなければ、ほとんどの人が走れるのではないでしょうか。単純労働にしても、多少慣れが必要ですが、慣れた人同士ならば、やはり、2倍も効率が違うことはまれでしょう。
ところが、研究や開発といった分野では、個人の能力により、大きな差が出ます。一方が全く成果が出ない場合でも、もう一方は楽に課題をこなしてしまう事が、往々にしてあります。この場合の差は無限大となるのでしょうか。
このように、研究開発は個人の能力に関わるところ大ですので、研究開発費のみを比較してもなかなか正しい比較にはたどり着けません。とは言え、研究者の質とは簡単に計れるものでもありません。様々な試みがあります。例えば、提出論文の数、特許出願の数、論文の質ならば引用された回数、というものが指標になりますが、これも単なる指標にしかなりません。つまらない論文を量産する人よりも、優れた論文を厳選して出す人のほうが評価が高くなるはずです。しかし、論文の量で研究成果を測るところがあるものまた事実です。また、分野によりあるいは就職先により、研究開発者は評価するべき基準が異なります。例えば、企業の開発者であるならば、論文よりも特許の数が優先されるでしょうし、また、ノウハウに属するようなものは、特許にもなりづらいものですが、これが生産ラインの効率を大きく向上させたりします。これは、企業内では大きく評価されるでしょうが、企業外では極めてわかりづらい評価です。逆に、大学や公的な研究機関に勤めているような場合には、何よりも論文がものを言います。この場合の論文の質は、掲載された雑誌によって評価されることが多いようです。また、突然現われる天才的な研究者をどのように評価に組み込むかは極めて難しい問題です。
このように、研究開発に携わる人の質に関する統一的評価は非常に難しいことがあるので、どうしても判りやすい研究開発費のみで評価されることになりますが、それでも研究者の質の違いが厳然としてあるのも事実です。
こうした質の違いを無視した研究開発比較は余り意味があるものではありませんが、他に指標が無い以上仕方なく使わざろう得ません。
ある程度信頼性ある研究比較をしようとするならば、上記に挙げた研究の質を量的パラメータに変換できる部分を精査すると共に、どのような成果(研究成果にしろ製品開発にしろ)が出てきているかを良く吟味することも欠かせないことでしょう。
posted by とのじ at 07:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイエンス

2005年07月04日

実験成功と量産化の深い溝

世界政治では、核実験に成功した国を、核保有国と見做します。しかし、インドやパキスタンが核実験成功後、核兵器を実戦配備したとの情報は流れてきません。最近核実験に成功したパキスタンはともかく、インドは既に20年以上前に核実験に成功しているにも関わらず、です。

そこで、ちょっと、ある技術を製品とするまでにどのような過程を経るものが復習してみましょう。わたしは製造技術に関しては素人ですが、様々な本を読んだりしていると、このくらいはあるようです。
もちろん、製造のプロの方から見れば、さらに細かく区分できるかと思います。
1.理論実験成功: ある技術が間違いではない、と証明できます。
2.実用化試験成功: ある技術が、性能等で既存の他の技術に負けないものであることが証明されます。
3.開発実験成功: ある技術が、コスト・寿命・消費電力・等の製品の仕様を満足できているものであるかどうかが、証明されます。
4:試作品開発:開発した技術を使用したものを設計・製造し、製品の形に試作し、様々なテストを行います。
5:量産試作品開発:上記テストの結果を受けて、欠陥が無くコストの低い量産試作品を再設計・製造します。
6:最終量産品試作:量産試作品をテストし、改良すべき点がある場合はこれを直し、最終量産試作品をつくります。そして、これも製品仕様に適合するかテストされます。
7:量産品製造:上記テストに合格したら、量産品の製造が開始されます。

これと伴い、
a:量産設備開発:製品を、欠陥品が出ることなく、かつ、能率よく製造する設備を設計・製造する技術です。もちろん、各部品の品質が所定の精度を満たしつつ大量に製造する技術、製造設備の管理・運用技術も欠かせません。

更に量産後には、
b:メンテナンス体制の確立:量産され完成した製品は、使用されれば各種部品は消耗するので、こうした消耗部品に対する、交換時期の指定や、交換部品の確保、交換技術の継承、も忘れてはいけません。また、製造後、使用時まで動かさない製品であっても、経年劣化によるゴム等の部品の劣化、各種センサー類の製造時からのズレ、バッテリーの消耗、燃料の変質等が起こりますから、やはり、メンテナンス体制はきちんと確立させなければなりません。

さて、問題のインドとパキスタンですが、2:実用化実験を行ったので、核保有国と名乗れるわけです。しかし、実用配備までには、さらに気の遠くなるような過程が必要なわけです。特に、4:試作品開発とa:量産設備開発は極めて高い障壁に思えるのです。
試作品開発とは、核爆弾の場合には、航空機なりミサイルに載せられるよう小型化や搭載形状の達成と、保管時の安定性、起爆時の確実な起爆、が求められます。
更に、量産設備開発は後進国には無理難題にすら思えます。特に、高精度部品の大量確保なんて事は可能でしょうか? 私には、とても難しいのでは、としか言えません。
メンテナンスにいたっては、彼らにそうした概念があるのかどうかも怪しい気配です。

実は、このことは中国や北朝鮮にも当てはまります。彼らのミサイル技術は基本的にはソヴィエト製のデッドコピーです。それにブースターを取り付けたりして、飛距離を伸ばして喜んでいるのです。一発だけ飛んだとしても、それは開発成功に過ぎないわけで、それを量産するためには越えなければならない壁はいくつも存在しているのです。中国は一応、中距離核ミサイルを数十発か保有していますが、それがいざと言うときに、きちんと目標に向かうものが何発あるのか、非常に疑問に思っています。
彼らの技術水準からすれば、発射しようとしたミサイルの半分が地上で爆発して、周りのミサイルを巻き込み一発も発射できない、との事態になっても不思議ではないと考えています。

つまり、
「中国人がコピーし、中国人が製造し、中国人が管理するミサイルが、きちんと目標に飛んでいくと思えますか?」
と言うわけです。当然、
「北鮮人がコピーし、北鮮人が製造し、北鮮人が管理するミサイルが、きちんと目標に飛んでいくと思えますか?」
でも、同様です。と言うか、もっと酷いでしょう。
もちろん国防計画は万が一を考えて策定しなくてはなりませんが、仮想敵国の実力を見誤らないことも重要かと思います。
posted by とのじ at 20:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | サイエンス
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