2005年10月05日

ニュースにならない事について

メディアを評価する時には、事実をどのように報じたかと共に、どのような事実を報じなかったのかも、また、大事な視点です。
ネットが無かった頃には、新聞を複数紙購読することはよほど物好きな人で無い限りはしないものでした。それであるので、各新聞の論調が著しく違っていてもそれに気づくことは稀でした。自分の購読している新聞で扱われなかった事実はほとんど知ることはありませんでした。
それが、ネットの発達と共に各新聞の比較、それもその気になれば海外のものとも比較することが可能となりました。これにより、各紙の論調ばかりでなく、どのような記事を扱わなかったのかも比較することが可能となり、新聞は各紙が掲げているような公正中立なものでは決してなく、それぞれに特定の視点から報道している事が明らかなものとなりました。
例えば、一紙のみを購読している時には、社説は非常に退屈なものでしたが、各紙のスタンスが見事に表れているので、比較対照することによって非常に面白い読み物の一つとなりました。社説での論調と共に、何を取り上げたのかと何を取り上げなかったのかも考える事によって、各紙のスタンスが顕になりました。
これにより、社会の木鐸を自称していたA新聞などは非常に価値が低落し、今では国会でこの新聞をソースとして質問する際にも「決してA新聞を全て信じているわけではありませんが」との一言と共に質問をしなければならない有様になってしまいました。
また、余り報じられることの無い事実は、ニュース価値は低いのかもしれませんが、その事実の価値、或いは真の意味、とは何の関係もありません。この事を頭の片隅に入れておけば、ちょっと違ったモノの見方ができるのかもしれません。

# ちょっと、尻切れトンボになってしまいましたが。
posted by とのじ at 18:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき
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