2005年09月15日

オーディオの入り口

コンサートで聴く機会の方が遥かに少なくなっている現代では、音楽を聴くためにはオーディオが必要です。
オーディオは音質向上と利便性の向上を両輪として発展してきました。ただ、この両輪は非対称なもので、音質向上を伴わない利便性の向上のみが利点のフォーマットでも普及することはありましたが、利便性を伴わない音質向上のみが利点のフォーマットは結局普及しませんでした。
先ほど、音質向上と利便性向上が両輪となってと書きましたが、正確には、オーディオはサイドカーのようなものです。利便性向上はバイク、音質向上が側車です。バイクは独立して走ることはできますが、側車は独立しては走ることはできません。
現在流行っているiPodなどのメモリ・オーディオも利便性向上により、普及したものです。これまでは、MDなりCDなりを1枚聴き終わる度に交換しなければならなかったのが、メモリ・オーディオの登場により、何十時間分の音楽を蓄えることができるようになったため、換えのディスクを持ち歩く必要も無くなりました。また、iTuneなどにより、ネットで音楽を買うことができるようになったので、家にいても欲しいと思った時に手に入るようになりました。
こうした事は、音楽をデジタル・データに変換した時から理論的に可能になりました。実用段階までコストが下がるのに時間が掛かっただけであり、理論的に音楽のデジタル録音を開始した時から予見されていた未来でした。圧縮技術はデジタル・データ化の余禄のようなものです。
昔ながらのオーディオ評論家の一部には、このような傾向は、音楽の価値を貶め、音楽を真剣に再生しようとする人はやがていなくなると主張しています。しかしながら、音楽が商業芸術である以上それが消費されるのは当然であり、消費されることの無くなった商業芸術は衰退するしかありません。メモリ・オーディオの登場は消費方法に選択肢が一つ増えただけに過ぎません。
また、メモリ・オーディオを使用している人たちも音にこだわりが無いわけではありません。確かに一部ではありますが、良いヘッドフォンを探し、圧縮時のエンコーダの差に一喜一憂して音にこだわっている人もいるのです。また、可逆圧縮により源CDの品質のまま聴こうとする人もいます。
こうした人たちの努力を知ろうともせずに「メモリ・オーディオは駄目だ」と頭ごなしに否定する古い考えのオーディオ評論家には呆れるほかありません。オーディオに興味を持つきっかけは「良い音で聴きたい」と思った時です。そうである以上、メモリ・オーディオでよい音を聴こうと努力する人が増えていることは、歓迎すべき事です。
オーディオの入り口は時代によって異なるものなのだと、思うのです。
posted by とのじ at 12:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ
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