2005年08月04日

整理整頓

私はできません。
苦手です。きちんと捨てるものを捨てていければ良いのですが、それができません。

それで以前友人が言っていた整理法。
「ダンボールを二つ用意して、一方にいらないもの、一方にいると思うものを入れる。そして、両方に封をして、両方とも捨ててしまう」
確かに、必要そうだと思うものの9割はまず必要になることはありません。この方法はとても合理的ではあります。

しかし、それが出来ない性格だから、困っているのです。自縄自縛ってやつでしょうか。
整理整頓できる事は、一種の才能ではないか、と最近思っています。

ちなみに、「努力できる」事も才能だと思っています。
「明日出来ることは今日やらない」で綱渡りで過ごしてきた私には、努力できる人はやはり努力の才能があるのだと確信しています。
posted by とのじ at 12:09 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき
この記事へのコメント
「努力できる」事も才能、そのとおりだと思いますが、とのじさんだって、好きなことには「それと意識せずして努力する」ことができてますよね?マイナァなクラシックのCDを買い漁るとか、凝った作りのスピーカーを作るとか、複雑な配線や操作をものともせず複数のHDDレコーダーを使いこなしてアニメをたくさん録画し編集保存するとか。これらのことは努力せずしては達成できないし、明らかに一般人には可能なことではないので、つまり「努力できる才能がある」のだと思います。

むしろ問題(?)は、とのじさんがいみじくもご自分の「努力できる才能」を見逃してしまったように、努力できる才能がある人ほど、「この程度のことを努力できるのは特別なことではなく、当然」と考え、それを他人に押し付けようとすることにあるのだ、と思っています(とのじさんがそうだ、と言っているのではないですよ、為念)。ひいてはこのメカニズムが、体罰とか、詰め込み教育とか、NEETとかの遠因に関係しているのではないか、と。ちょっと飛躍しすぎかな?(^_^;)
Posted by 麒麟檸檬 at 2005年08月04日 14:01
麒麟檸檬さんの言われる事も努力の範疇ならば、私も、好きなことに関しては「努力できる才能」はあるのでしょう。
私ができないのは、「日々、こつこつと積み上げていく努力」です。学校の先生が好きな奴ですね。
この手の努力も莫迦にはできないもので、長年積み上げると大きな力になります。私はこれが全くできません。
これが全くできない私から見ると、「×年かけて独学で○○を習得しました」なんて人は、驚異の人としか思えないのです。

ちなみに、
> ひいてはこのメカニズムが、体罰とか、詰め込み教育とか、NEETとかの遠因に関係しているのではないか、と。ちょっと飛躍しすぎかな?(^_^;)

は、むしろ理解できます。日々の努力がてぎない(他人からは「しない」に見えるのです)のに、成績がちょっと良かったりしたものだから、教師からあまり良い感情はもたれていませんでした。
そして、何とか「努力すること」を躾けようと、体罰に走ったり、詰め込み教育をやったりするのも、今になってみると理解できるのです。あれも彼らなりの善意からだったのだな、ただ、視野が狭いだけで悪気があったわけではない、と。
Posted by とのじ at 2005年08月04日 20:16
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