2005年05月22日

信じることと疑うこと

人は、成長と共に、自分自身の生活に慣れていきます。小学生のころは、宿題を忘れただけで世界が破滅するような思いをしたものですが、長じるにつれてそうしたことにも慣れていきます。経験の積み重ねで、自分が宿題を忘れても世界は何の変化も無い、と学習したのでしょう。
やがて、様々な体験を通して、自分に自信を持ち、或いは、信念すら抱くようになり、生活を始めます。自分を信じることができるようになるわけです。
こうして、一人前の大人と呼ばれるようになるわけですが、こうした大人たちにも、尊敬できる人もいれば、反面教師の題材にぴったり、と言う人まで様々に分かれるようになるのはどうしてでしょうか。
尊敬できる人には色々いますが、反面教師になるような人はある一定の型に当てはまるような気がします。その型とは、一旦持った自分の自信や観方、信念等に疑念を抱かないというものです。疑念を抱かないが故に、自分の主張が受け入れられない時には、周りに莫迦しかいないと思っても、自分が誤っているかもとは考えもしません。また、自分の実力以上の事に手をつけて、周りから冷ややかに見られていても気付くこともありません。なにしろ、自分の実力を疑う事はないのですから。また、「無知の知と無知の無恥」の様なことも、自分を疑うことを知らないことから起こることなのです。
時にはゆっくりと自分自身を省みることが、大人にとっては必要不可欠なのでしょう。

『疑うことを忘れた信念は、盲信でしかありませんからね』
『疑心暗鬼に陥らずに、疑うためにはどのようにしたら良いんでしょうか?』
『今更ですが、デカルトあたりを読んでみることをお勧めします。お手軽には"省察"の第二章だけでも』
『ちょっと、ベタですね』
posted by とのじ at 15:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記・コラム・つぶやき
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/6407722
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。