2005年05月16日

嘘つきはお嫌いですか?

リアルな人間関係で嘘つきが好きな人はいないでしょうが、オーディオではどうでしょう?
オーディオは究極の目標を「原音再生」としています。していました、と言う方が今日では正しいかもしれません。
読者訪問などでも、最近では、原音再生を追及する、と堂々と言う人は殆ど居らず、自分の音を探求したいと答える人が多数派のようです。自分探しの物語がオーディオにまで波及している様には、苦笑するしかないのですが。
また、レコード演奏家論、と言うものが持て囃されていますが、これも原音再生の立場からすれば、レコードはあくまで再生するものであって演奏するものではない、とした反論が出るはずですが、このような反論をした評論家の話も寡聞にして聞きません。評論家の間でも「原音再生」と言う言葉を発することはどうやら、タブーになりつつあるようです。
殆どのオーディオ開発者が目指す音を"non-colorization"と言いつつも、その製品は夫々音が違っているように、殆どの人がレコードを再生しているつもりであっても、その人なりの解釈が含まれることにより、結果的に、レコードを「演奏」しているのである、との理屈は判るつもりです。しかし、はたしてそれを積極的に肯定してしまっていいのでしょうか?
「原音再生」と言う、ある意味、客観的な指標を失ったらオーディオはどうなるのでしょうか? それこそ、羅針盤を失った船のように、各人の解釈の自由と言う名の下に、音響の大海原をただ彷徨うだけのものになってしまうのではないでしょうか? そこには、行き着くべきゴールは無く、正しい航路を辿っているのかすら判らず、大海原を彷徨うだけの日々が待っているのです。そして、そこに、ゼンタはいないのです。
そう、今オーディオをやっている人の多くは、自分好みの嘘をついてくれる「嘘つきな機械」が大好きなのです。そして、その嘘に飽きたら他の機械に乗り換える。ただ、これだけを繰り返しているように見えます。
「原音再生」の理念を失ったオーディオは、嘘つきな機械たちの群れの中で彷徨い続けるだけの存在に成り果てるだけです。そして、そのようなオーディオには未来はない、と断言できるのではないでしょうか?

ところで、私はどうか、ですか?
はい、既にあきらめています。私は、Manger unitの奏でる音の中に原音の名残を探しながら呆然と佇み、あるいは、T330Dの紡ぐ甘い嘘の中に遊んでいるだけなのです。
私に必要なのは未来でも過去でもなく、唯、今だけなのですから。
posted by とのじ at 20:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | オーディオ
この記事へのコメント
緒川たまきに、ってべたですか?

それはさておき、最近は、こういう風に考えるようになりました。

現実の音楽とか演奏とか、そういったものはやはり、現行のCDなり、マスタリングのシステム、オーディオ再生装置、環境といったものから見ると、圧倒的に器が大きいです。そのままCDにはいるか?といわれると、それはかなり厳しい。

現実の風景と、写真とに対比させられるかもしれません。

音楽を自宅のオーディオ装置で再現させるときには、現実から、うまく、お皿に入る分を切り取る必要があります。それは、CDなどの音楽ソースを作る部分もそうですし、アンプやPLAYERやスピーカー、すべてにいえることです。

風景から切り出した写真は、当然、全体像とは一致しませんが、もともとの風景を、見た人に伝えられるとりかたはあるでしょう。

撮影者によって、いろいろな表現方法があるように、レコードの音のまとめ方、オーディオ装置の音のまとめ方、システムとしての音のまとめ方によって視点は変わってくると思います。
Posted by YAS@螺旋館 at 2005年05月17日 17:38
>緒川たまきに、ってべたですか?

べたです。

と言うわけで、原音再生は北極星なんだ、と考えるのです。
手が届かないのは判りきってはいるのですが、方位をはっきり示してくれる指標なので、それを仰げば自分がどちらに向かっているか判る、と。
「原音再生」を否定するのも結構ですが、あなたはそれに換わる客観的な指標をお持ちですか、と問いたいのです。
それなくして、唯、「前」へ進んでいっても、その先には何があるか、あるいは何も無いか、すら判らないのですよ。
と、言うのがこの文章の趣旨です。
Posted by とのじ at 2005年05月17日 18:55
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