2008年06月30日

オーディオと芸術

まだ生煮えの考えなので、メモ程度に。

−オーディオと芸術
音楽を素晴らしい芸術として、敬意を持って伝えるという意味において、それを再生するオーディオもあまり商業主義に走るべきではない、との考えには一部共鳴するところもあります。
ここでは、芸術とは「高尚な(いわゆる)芸術」を指しています。
芸術とは何か、私には良く判りませんが、「自己目的化された創作物」と一言で簡単に定義した場合でも、それを「安く享受したい」とはかなり矛盾した考えでは無いかと思うのです。
ただし、例外は常にあります。「商業主義的な芸術」があればそのような事も可能です。
そして、「商業主義的な芸術」とは往々にして、「大衆芸術」と呼ばれてきました。
低コストと利便性を是とした現在の量産メーカーの製品を購入し、そしてそれを使用する普通の人々が楽しむものは「大衆芸術」となった音楽である場合がほとんどです。
そのような立場の人と「芸術鑑賞のためのオーディオ」について議論しようしても、議論は成立しないでしょう。お互いに想定するところの芸術の意味が異なるからです。

それであるからこそ、そのような製品に満足できない人たちのためにHi-End Audioが存在するのです。もっとも、Hi-End Audioのメーカーにも「芸術としての音楽」ときちんと対峙しているのか疑問のところもあるようですが。
まあ、それは「(商業主義に走る)高尚な芸術みたいなもの」が存在するのと同じようなものなのです。

ここでは、「高尚な芸術」と「大衆芸術」を商業主義=多数に受けいられる判り易さ、の観点から全く別のものと捉えていますが、芸術と鑑賞者の関係はとても微妙なものです。
これに触れるとあまりに長くなるのでちょっとした疑問と事実だけ挙げて終わりにします。

−鑑賞者のいない芸術にどんな意味があるのか?

現代音楽は1960年代まで進歩主義を信じ、前衛的であるほど価値があるとしてきましたが、ある時、聴衆が去ってしまった事に気付きました。さて、聴衆のいない音楽にどのような意味があるのでしょうか。それは単なる作曲家の自己満足に過ぎないのではないでしょうか。
その後、現代音楽は前衛主義を捨て、何でもありの音楽となりました。その結果は聴衆が帰ってきたとは言い切れませんが、進歩主義に凝り固まっていた時よりも面白い作品が出てくるようになったのも事実です。

多数に受け入れられないとしても、少数にすら忌避されるものに果たして意味があったのでしょうか?
posted by とのじ at 00:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | オーディオ
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